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初検便

検便とかほんとクソな検査方法ですね。damn toolです。ほんとに。

 

 

ここからは非常に汚い内容になりますので引き返すことを推奨いたします。

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

試しに水に落ちないようにクソをできるか試したわけです。僕の塊が旅へ出た瞬間に僕は振り返りました。そこに残っていたのはただの足跡。そいつの姿はすでに水底へと深く深く沈んでいました。僕はある事実を覚りました。これは便器を使ってはできないな、と。

 

 

 

脳内でシミュレートした結果、まず新聞紙を百枚重ねた上であったとしても自分の部屋は論外です。リビングで衆人環視の中でやるのはもはや検便ではなくプレイと呼べる代物です。論外。残るは風呂ですがその場合、廃棄物はどうやって処理するのでしょうか。紙に包んだところでそれを便所まで持ってくなど知性ある人間のすることではないと僕は思っています。人間の知性と僕の尊厳においてそのような方法をとるわけにはいきません。

 

 

思案に明け暮れた僕の目にはふとトイレットペーパーが映ります。トイレットペーパー。何枚も重ねることで直接ブツに触れることは免れる。しかもそのままトイレに流すことができる。人の知性の結晶と言えるでしょう。僕はこの理不尽に対する怒りに震えながらもおもむろにトイレットペーパーを幾重にも巻き取り、手にあてがったそれを”穴”に近づけます。そして悔しさを噛み締めるようにして歯を食い縛り、ふんばるのです。

 

 

塊は、僕のもとを離れ、約9.8m/s^2の重力加速度に従い、救済の紙片(トイレットペーパー)に、

 

 

べたっ

 

 

 

落ちました。

 

 

 

 

あああああああああああああああああここからさらに汚なくなるよああああああああああ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

震える手でそれを膝の上に持っていきます。不浄と生理的嫌悪感の塊であるそれに棒を擦り付ける僕はまるで蝿にでも成り下がったかのような屈辱と葛藤していました。終わった瞬間、すぐさまそれをスロープトゥーザトイレット。グッバイフォーエバー。ダミットゥ。

 

 

次からは僕の検便をするときはケツに何突っ込んでもいいので中身を出させることだけは勘弁してください。尿検査もぎょう虫検査も許しますが検便、お前だけはダメだ。早急に廃れろ。

 

 

 

この屈辱の先に一体何があるんでしょうか。楽しい文化祭はあるのでしょうか。そして検便した人は誰でもこのような体験をするのでしょうか。僕は明日から検便した人の顔を真っ直ぐ見ることができません。検便に泣いた16の夜でした。